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師を語る

朝のラジオでコメディアン小松政夫さんが師である植木等さんとのエピソードを語っておられた。他界した戦後最大のエンターテイナー・植木等小松政夫との師弟愛がこんなにも深く美しいものでだったとは思いもよらなかった、感動した。

小松政夫は、1942年福岡県生まれ65歳のコメディアン俳優。1961年に俳優を目指して上京。数々の職業を経て、64年、植木等付き人運転手になる。

その後、植木等のはからいで独立。70年代に伊東四朗との番組から「小松の親分さん」の名コントや「しらけ鳥音頭」などの大ヒットを生み、一躍人気コメディアンとなる。

現在はバラエティのほか、俳優としてテレビドラマや舞台など、多方面で活躍中である。

小松は、NHK教育テレビが放送した「知るを楽しむ」に出演した。番組のサブタイトルは、「私のこだわり人物伝 -植木等 世の中スイスイ“無責任”-第4回「日本一の責任男」。

小松は、43年前、車のセールスマンから公募により植木等付き人となった、小松が幼くして父を亡くした事を知った15歳年長の植木は「自分を父親と思えばいい」と声を掛け、一度も怒らず、3年9カ月間に亘り行動を共にした。

その間は、一週間の睡眠時間がわずか10時間というハードな日々だったが、「芸は教わるものではない。好きな芸人の真似をすればいい」という教えのもと、芸人としてのベースが形成された。

小松は番組の中で、“師”として“父親”としても仰いだ植木等について涙を交えながら、しみじみと語った。

話を聞くにつれて、植木等の温かい人柄が偲ばれると共に小松政夫が植木に心から信頼されていた人物であったことを知り、私の胸が温かくなった。

3年9カ月間に亘り行動を共にしたことで芽生えた師弟愛。これがあったればこそ、今の小松政夫があり、その後の植木等の大ブレークもあったと言って過言ではない。




○ 植木等の代表的なギャグ「お呼びでない」の誕生秘話。

それは、植木が出演していた生放送の『シャボン玉ホリデー』でのショートコントの最中のことであった。

植木の付き人であった小松が勘違いして、出番前ではないのに「出番です」と植木に言ってしまった。植木はつい舞台に出てしまったのだが、当然周囲は植木の登場に唖然・・・その瞬間に植木は機転を利かせて「あ、お呼びでない!?、こりゃまた失礼いたしました」とアドリブを放った。

これが大受けとなり、以後、毎回のように使われるようになった。このことについて植木は、番組関係者に「小松が間違えてね、あのギャグが生まれたのよ」、と言って回った。

このエピソードについて小松は、「聡明な植木が間違いをするはずがありません。私を売り出すために作ってくれたエピソードなんです、本当に感謝しています」と語っていた。しばし声が途絶え、ハンカチを目にしながら。

事実、植木はことあるごとに番組制作スタッフに話していた。「小松は面白い男だょ」「小松を使ってみてよ」と。小松の役者としての才能を見抜き、本人の志望する気持ちを察してデビューさせようと尽力したのであった。

小松は語る。「植木を乗せて運転していたら、植木が顔を私に近づけて『(渡邊晋)社長に(小松が)タレントができるように言っておいた。マネジャーもつけたから、明日から来なくていいよ』と言われ、うれしくて涙がこぼれて運転できなくなり、車を止めたんです。

植木は、私が泣きやむまで待ってくれた後、『別に急いでないけど、そろそろ行くかぁ』と声をかけてくれました。優しい父親のような人でした」。

以後、小松は、身近な人からヒントを得て生み出した「どうして!どうして!おせーて」、「表彰状、あんたはエライ!」などのギャグや、「電線音頭」「しらけ鳥音頭」そして淀川長治の物真似などで一躍人気コメディアンとなったのである。


○ 病院に駆けつける車中で知らされた訃報。

名古屋での舞台公演中であった小松は、植木の奥さんに電話を掛けた。肺気腫を患い都内の病院に入院している植木の様態を心配しての電話であった。
 
虫が知らせたのであろう、植木は厳しい状態にあった。奥さんは、「なにかあれば、あなたにだけは知らせるよ。しかし、(植木等は)舞台に穴を開けて来ることは望んでいませんよ」と話した。

そして、3月26日に千秋楽を終えた小松。

ここまで持ちこたえたから大丈夫と思った小松が植木の許へ向かったのは翌27日の朝であった。タクシーで植木の入院している病院に向かったのだが、場所がなかなかわからず到着が遅れた。その時、小松の携帯電話が鳴った、植木の死を知らせる電話であった。

あと5分で病院に到着するところだった、と無念そうに話す小松。
植木の奥さんは、「(植木等は小松の)来るのをずっとまっていたように思います」と涙ながらに語ったという。

80年の生涯を閉じた植木等の葬儀は、本人の遺志で身内だけの密葬として執り行われたが、その中に小松政夫の姿があった、クレージーキャッツの仲間だった谷啓、犬塚弘、桜井センリと共に。

1カ月後の4月27日に都内で開かれた「植木等さん 夢をありがとう さよならの会」では、2000人もの参列者が植木との別れを惜しんだ。
 
葬儀委員長は谷、犬塚、桜井の3人が務め、弔辞を読む小松政夫の姿が画面に流れた。

原稿を持たないで祭壇に向かって話す小松。「お別れの会ってこんな面白い会だったんでしょうか。おやっさんらしい。」、「おやっさん、本当にお疲れさまでした」「40数年仕えることができたことは一生の誇り。植木等は日本の宝です。この誇りを一生大事にして生きていきます。」。
 
小松の口から出る言葉と表情は、まるで目の前にいる植木等に話しかけている様であり、愛しい父親に話しかけているようでもあった。

 
植木と小松の師弟愛を知る由もない大方の参列者ではあったが、小松の言葉には胸を打たれ、ハンカチを目に当て鼻を啜る音が会場のいたるところから聞こえてきたそうです。


ラジオでは、ゴルフ場でのエピソードも語っておられました。
しかし、ラジオっていいですね。


親戚が三重県に居る関係で、植木さんの父親のお寺に二度ほど行ったことがあり一度目とは随分間隔が空いていた(20年)せいもあり「碑」だけ残っていました。


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tag : 師匠 植木等 コメディアン 小松政夫 バラエティ 伊藤四郎 運転手 俳優 付き人

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