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黒人青年へのリンチ(1930年)
若い黒人の男性3名が白人女性をレイプし、その恋人を殺した罪を問われ公開処刑された、模様を撮った有名な1枚である。1930年に起きたこの事件は、インディアナ州のマリオンと言う町に住む1万人が刑務所に押しかけ、白人をレイプしその恋人を殺人した罪で拘留されていた、アフリカ系アメリカ人3人を引きずり出し、殴る蹴るの暴行を加えた。

2人は処刑されそのうちの1人ジェームス・キャメロン(James Cameron)は命拾いし、その後、彼は死ぬまでアフリカ系アメリカ人の法的権利について影響ある活動家となった。

この写真は白人主義社会の見せしめではあったが、拷問された処刑者の体と、グロテスクなまでに嬉しそうな白人たち群集のコントラストに反感を抱いたものも多く波紋が広がった。
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ベトコンゲリラの処刑(1968年)
この写真は写真家エディ・アダムス(Eddie Adams)によって撮影され、ピューリッツァー賞を受賞した一枚。

サイゴン警察が捕虜として捕らえたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の兵士グエン・ヴァン・レム(阮文歛)を、グエン・ゴク・ロアンが路上で射殺するところである。ベトナム戦争のアメリカの介入について世論に大きな影響を与えた。

グエン・ヴァン・レムのことを残虐なベトコンだったとしてこの処刑は正当であったと主張した。 
グエン・ゴク・ロアンは後にアメリカへ亡命し1998年に癌のため亡くなった。
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ソウェト蜂起(1976年)
世界の注目を集めたこの一枚は南アフリカ共和国ハウテン州ソウェトで発生した武装事件で、エスカレートした暴動から、13歳のヘクター・ピーターソン(Hector Peterson)が無差別に発砲する警察に撃たれ、警察の暴力のシンボルとなった。
ジャーナリストによって撮られたヘクターの死体の写真は世界の怒りを呼び、当時アパルトヘイト政策を敷く南アフリカ政府への国際非難をもたらした。このヘクターを抱く別の少年はその後国外追放となり、1978年に母親がナイジェリアから来た手紙を最後に消息はわかっていない。隣で走る17歳の少女はヘクターの姉で現在もソウェトに住んでいる。
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ヘイゼル・ブライアント(Hazel Bryant)(1957年)
当時黒人差別が撤廃されて4年目であったが、まだまだ人々の間では偏見は根強く残っていた。エリザベス・エックフォード(Elizabeth Eckford)はそれまで白人しか受け入れてこなかった学校へ入学した最初の黒人の一人であったが、当時の白人たちが大いに抵抗を示した。学校に来る彼女をけなす白人ヘイゼル・ブライアント(Hazel Bryant)が写るこの写真は20世紀のトップ100の写真の1枚に選ばれた。40年間この写真によって苦しめられたヘイゼルは1997年にエリザベスに謝罪し、二人が仲良く並ぶ写真を撮っている。
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トライアングル・シャツ社(Triangle Shirtwaist Company)の火災〈1911年)
Triangle Shirtwaist社のビルは、女性の移民労働者たちが盗みや仕事から逃げ出したりするのを防ぐために常にドアは施錠されていた。1911年3月25日にこのビルで火災が発生したとき、このロックされたドアが8階にいた従業員たちの運命を決め、たった30分で146名が死に至るという大惨事となった。写真は警察や通行人がビルから飛び降りた死体とともに写っているもので、労働者たちの安全性を見直す運動に拍車がかかった。
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ファン・ティー・キム・フック(Phan Th? Kim Phuc)〈1972年)
キム・フックとして知られるこの当時の彼女は、ベトナム戦争時の空襲で背中にひどい火傷を負いながら裸で逃げる9歳の少女だった。 この写真は「戦争の恐怖」と題され、翌1973年、ピューリッツァー賞を獲得している。修羅場を背景に小さな少女が裸で逃げるこの写真はベトナム戦争で一番、人々の心に印象深く焼きつきけられた一枚となった。後のインタビューでは彼女は「熱い!熱い!」と言って走っていたことを覚えていると話した。カメラマンは写真を撮った後、キム・フックと他の子供たちを病院へ運んだ。重度の火傷を負った彼女は助からないと思われたが一命をとりとめ、14ヶ月の入院中17回の手術を受けた。 現在2児の母親としてカナダで暮らす彼女は反戦主義者たちのシンボルとなる。1997年には国連・ユネスコの親善大使となった。
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ケント州立大学銃撃事件(1970年)
ニクソン大統領がカンボジア侵略のための兵士の派遣を発表したとき、戦争に反対する国内各地の大学で抗議活動が起こり、オハイオ州のケント州立大学では暴動化する騒ぎとなった。鎮静化を図った連邦警備員が学生に向けて発砲し、4人が死亡、9人が負傷するという惨事になった。撃たれた数人は学校に登校するためたまたま居合わせただけで、この写真は撃たれたジェフリー・ミラー(Jeffrey Miller) に当時14歳だったメアリー・アン・ベッキーノ(Mary Ann Vecchio)がショックにひざまずいている瞬間を撮ったもので、ピューリッツァー賞を受賞している。彼女は第25回、35回、36回のケント州立大学の記念祭に出席している。
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無名の反逆者(1989年)
1989年に起こった六四天安門事件の直後に戦車の前に立ちはだかる男を撮影したものである。この勇気ある行動を西欧では称えた報道をしているが、彼が誰なのか確認されておらず、生死も明らかになっていない。本名がわからないため、「無名の反逆者」(the Unknown Rebel)と呼ばれた。
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ティック・クアン・ドック
ベトナムの僧侶であるティック・クアン・ドックは当時の政権に抗議してアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺をした。その様子を目撃したニューヨークタイムスレポーターのデイビッド・ハルバースタム(David Halberstam)はそのときの模様をこう書いている。「後にその様子を見る機会もあったが一度で十分だ。炎が体から舞い上がり、体はどんどん小さくしぼんでいき、頭は黒く焦げていった。あたりは皮膚が焼ける臭いがたち込めた。人間というのは驚くほど早く燃えてゆく。 私の後ろからは集まったベトナム人のすすり泣きが聞こえた。泣くにはあまりにショックで、書きとめたり疑問を投げかけるにはあまりに混乱し、うろたえて、考えることすらできなくなった。燃えていく彼は微動だにせず、声も発さず、彼の落ち着きはらった様子は周りの泣き喚く人々とのコントラストを醸し出していた。

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