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【わが郷土椎葉村】

再掲載記事です。


少しばかり里心がついて、郷里宮崎県のこと思うが侭に記したいと思います。

椎葉村は、生誕地の隣村でございます。


県を挙げて口蹄疫対応に慌しいなかですがいっときも早い収束を念じております。


初めにお聴きいただく稗つき節は、多くの有名歌手が歌っておりますが、受継がれた地元の方の歌は一味も二味も違う年輪が刻まれております。


背景は悲恋の舞台鶴富屋敷です。



およそ800年前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士たち。
追っ手を逃れて、各地のふところの深い山奥へ。

古文書「椎葉山由来記」は次のように伝えています。

道なき道を逃げ、平家の残党がようやくたどりついたのが山深き椎葉だった。しかし、この隠れ里も源氏の総大将頼朝に知れ那須与一宗高が追討に向かうよう命令される。が、病気のため代わって弟の那須大八郎宗久が追討の命を受ける。

こうして椎葉に向かった大八郎、険しい道を越え、やっとのことで隠れ住んでいた落人を発見、だが、かつての栄華も他所にひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿を見て哀れに思い追討を断念。幕府には討伐を果たした旨を報告した。


私はこの平家伝説を記事にするため椎葉村役場に電話をかけ取材をさせていただきました。

ブログに掲載する旨を説明しそのときの丁寧な応対と説明に感謝いたします。資料の保存もしっかりとされていることがHpからもうかがい知ることが出来ました。

 


広報しいば 平成16年5月号 平家伝説の地を訪ねる⑦平家伝説にゆかりのある地名「追手納」おてのう。には次のように書かれています。

源氏の追討軍大将、那須大八郎宗久が追討の命を受けて訪れた時、平家の落人は向山の奥で焼畑農耕を営みながら隠れ住んでいたといわれます。

その細々と余命を繋ぐ生活ぶりに「いささかも叛意なし」と見届けた那須大八郎宗久らは、武器を納めて陣屋に引き上げ、鎌倉幕府にその旨を上申したと伝えられています。

後に、追手を納めたことに由来して「追手納」という地名になったということです。




普通ならここで鎌倉に戻るところだろうが、大八郎は屋敷を構え、この地にとどまったのです。

そればかりか平家の守り神である厳島神社を建てたり、農耕の法を教えるなど彼らを助け、協力し合いながら暮らしたという。

やがて、平清盛の末裔である鶴富姫との出会いが待っていた。


いつしか姫と大八郎にはロマンスが芽生え「ひえつき節」にもあるように、姫の屋敷の山椒の木に鈴をかけ、その音を合図に逢瀬を重ねるような月日が過ぎていった。



庭の山椒の木鳴る鈴かけて

鈴の鳴るときゃ出ておじゃれ

鈴の鳴るときゃ何というて出ましょ

駒に水くりょというて出ましょ


このとき鶴富姫はすでに身ごもっていた。しかし、仇敵平家の姫を連れていくわけにもいかず分かれの印に名刀<天国丸>を与え、生まれた子が男子ならわが故郷下野の国へ、女ならこの地で育てよ。と言い残し後ろ髪を引かれる思いで椎葉を後にするのです


生まれたのはかわいい女の子。

姫は大八郎の面影を抱きながらいつくしみ育てました。後に、婿を迎え那須下野守、と愛する人の名前を名乗らせたそうです。

ここで少し疑問に思えることは、大八郎は平家の落人を発見したときすぐさま討伐しなかったのかという点です。それほど哀れな姿に映ったのでしょうか。

それだけならとどまることなく黙って引き返す事も出来たと思えます。


椎葉に魅せられた作家の一人、吉川英治が「新・平家物語」の中で椎葉をこの世の理想郷として描いているのがひとつの答かもしれません。


敵も味方もない。富も権力も意味を持たない。戦い、憎しみ合ってきた源氏と平氏の間に美しい恋さえ芽生える。人間はなぜ争うのか?という問いの答を、椎葉での鶴富姫と那須大八郎の物語から学び取ることができます。



編集雑記
全国には平家の落人が住み着いたところが点在する。椎葉村伝説の様に、遠く離れていても総大将頼朝にみつかり討伐の兵を差し向けられた運の悪い土地もある。

運の良かったその一つに三重県大台町があるが、この地を平家の落人が住み着いたと知る人は意外に少ないのでは?

私がそれと知ったのは、独身の頃にふらっと旅をしたとき旅先で知り合った人に、平家と大台町の歴史を聞いたからで、嫁をもらうならここの土地の娘さんはいいですよ、祖先は平家の落武者ですからと付け加えて話されていた。


椎葉村に話を戻すと。何年か前に、連続して歴史的集中豪雨と台風に見舞われ壊滅的な打撃を受けました。しかし、見事な復興を遂げてきています。


耐えるという、ややもすると忘れかけている日本人の原点がここ椎葉村には随所にみられます。

 

 

編集雑記

以下を調べてみました・


番外編:宮崎県の姓・氏

黒木・日高・甲斐・中村を、俗に日向の四姓という。

それに長友・岩切・椎葉・興梠・飯干・仁田脇・押川

などが宮崎県らしい姓といえようか。

興梠姓は神話の町、高千穂に多い。志方・真方などの

姓もみかける。

昔、平家の残党が逃げ込んだという椎葉村、ここに那須大八郎

宗久が追討の命を受けてやってきたという。

この椎葉村には椎葉姓と那須姓が圧倒的に多い。

五六とかいてフノボリと読む珍しい姓もある。

 


番外編:隣接している大分県の姓・氏

この県らしい姓は、御手洗・財津・財前・首藤・姫野・

日名子・重野・油布・藤内だ。小猿・四童子・樹村・

怒留湯・下駄・局・巳年などの珍しい姓もある。

この県には、工藤・安部・佐藤・後藤など

東北地方ではよくあるが、西日本ではみかけない姓がある。

また、同じく東北に多い◯沢姓もある。

昔の海路交通の名残なのだろうか。

 

 

番外編:隣接している熊本県の姓・氏

熊本県らしい姓の筆頭は「緒方」。

これは豊後国の古代大豪族の姓、豊後大神の系統。

ヤマタノオロチ伝説は、緒方家の先祖に取材したものだという。

牛島・隈部・栃原・赤星・古閑・清田・紫垣・岡田・

有働など熊本県らしい姓だ。その他、園田をはじめ藤田・

前田・内田・出田などの◯田姓。平田・平賀・平岩などの

平◯姓もこの県でよくみかける。

四月一日あるいは四月朔日とかいてワタヌキとよぶ姓もある。

その由来は?。

ヒマがあったら考えてみてください。

初回2010 06 掲載
二回2012 08掲載


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