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自殺して亡くなった者は成仏しないと聞きましたが本当でしょうか



ある宗派の、あるご僧侶の、質問に対する答えです。以下

五木寛之さん著作の「人生の目的」(幻冬舎)に出ておりましたが、バブルの崩壊が始まった平成3年の自殺者は19、875人だそうです。

それが平成10年は3万人の大台を超え、警視庁調べでは32、863人だったそうです。

これは前年より34.7パーセントの増加率で、特に50代では45.7パーセントの増となっております。

企業のリストラの影響もあると思いますが、根底には自分の未来に希望の持てない人々が増えている結果ではないかと思います。


そしてそれは家庭や社会でちゃんとした宗教教育がなされてこなかったツケがまわって来ているような気がしてなりません。

「生かされて生きている」という宗教観・人間観の欠如です。


*  *  *  *

質問にお答えします。

『自殺して亡くなった者は成仏できない』とは誰が言い出した事でしょう。

他の宗教はいざ知らず、決して仏教はこんな事を言いません。

成仏した・していないは私たちには分からないことです。

何を根拠にこんな事を言うのでしょう。

殺生罪でしょうか。

ご存じのように仏教では不殺生戒という戒律があります。

ものの命を奪ってはならないという掟です。


すべてのものの命を平等に見る仏教では、人間のために存在している命は一つもありません。

牛も豚も鶏も魚も植物も鯨もイルカも虫も細菌も、すべての命は平等で尊いものであると考えております。

そこには、「牛は良いが鯨は殺してはならない」といった理論がありません。

極論すれば「ハエは殺して良いが人間はダメ」といった考えを持たないのが仏教です。

ハエも人間も同じ尊い命を生きていると考えるのが仏教なのです。

そのような教えの上から見ますと、魚や動・植物を毎日食べ続けている私たちと、自らの命を絶った者とどのような違いがあるのでしょうか。


他の命を殺しても成仏できるが、自分を殺した者は成仏できないというこの考えが仏教にないことは明らかです。

つまり、自他の命を奪うという、不殺生戒を破った者が成仏できないならば、地球上のすべてのものは成仏できません。

釈尊は「死の縁無量」と述べられました。

これは、私たちが亡くなっていくのは何が縁となるか分からないということです。病気が縁となるかも知れません。

交通事故、あるいはバナナの皮で滑って亡くなるかも知れません。


どのような亡くなり方であっても亡くなり方によって成仏が決まるとは一言もおっしゃっておられないのです。

自殺も一つの死の縁です。

残されたご家族にとっては無念でならないと思いますが、どうか無量の縁の中の一つと考えていただきたいと思います。

そして大事なことはその死を無駄にしてはならないということです。

殺生罪などの悪を重ねながらしか生きられない私たちのために、阿弥陀如来の大いなる救いがあることを故人を縁に聞くのです。


そして故人をそのような尊い縁と受け止められたとき、私たちは故人の成仏を確信するのです。
 

娘の初盆を前に考えて見ました。



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