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命日



若し人三世一切の、仏を知んと欲すれば、法界性を観ずべし。

一切唯心造なりと、衆生おのおの仏性を、受けて生まれしものなれば
一念不生に至るとき、忽ち仏性現前し、老若男女もろともに、その身が即ち仏なり。

しかるに一念迷い初め、本有の仏性見失い、みずから凡夫となるゆえに
貪り瞋り痴さの、煩悩しげき三毒に、闇き迷いの日々となる。

また色声香味触と、五欲の悦楽追い求め、刹那の夢に酔いしれる
殺生偸盗邪淫慾、悪口両舌綺語妄語、破戒無懺の輩に、いつか救いのありぬべき。

それ人間の身を受けて、この世に生まれ来ることは、爪の上端に置ける土。

まして尊き仏法の、教えに親しく遇うことは、まこと得がたき縁なり。

かかる時節を失わず、信心決定いたすべし。

人々賢き智慧あれば、春は万の種を蒔き、秋の稔りを待つのみか、
衣服家宅に至るまで、遠き計画立てながら、今をも知れぬ後の世の、
永き冥路を打ち忘れ、空しく過ごすぞ愚なり。

無常の風に誘われて、忽ちこの世を終るとき、何を頼みとなすべきや
あまた資産のあるとても、冥途の用にはならぬもの。

家財重宝持つ人も、携え行くべき途ならず、偕老比翼の契いも、
しばし浮世の夢ならん。

兄弟朋友ありとして、伴い行くことさらになし、出入りの息の絶えぬれば
野辺の送りを営みて、老いも若きも仇野の、空の煙と消え失せん。

朝夕撫でし黒髪も、蓬が根の塵となる。

かかる憂き目のあるゆえに、ひたすら菩提を願うべし。

弘誓の願を身につけて、忍辱精進怠らず、布施や愛語にこころざし
十善の道歩みつつ、他己をも自己と覚るならば、これぞ菩薩の浄土なり。

観世の慧眼明らかに、弘く衆生に回向して、ともに濁世を渡るべし。

尚ぶらくは人間の、受くる形はそのままに、仏の姿にかわらねば、
本来より具えし霊明の、一仏心に覚むとき、この身すなわち仏にて
仏が仏を念ずれば、一声唱うる称名も、諸仏の浄土に通徹す。

日々仏に近づきて、礼拝供養も懇ろに、香花燈燭とりささげ
粥飯茶果等供えつつ、身口意三輪浄らかに、称名念仏経陀羅尼
禅観法修すれば、浄土はもとよりわが身にて、心が即ち仏なり。

つらつらこの身を観ずるに、生生世世の父母や、一切衆生にいたるまで
その恩愛の深きこと、天の極り無きごとし。

されば誓願たてまつり、無明の眠りを覚しつつ、行住坐臥に怠らず
一心勇猛に修業して、無辺の衆生を慈しみ、菩提の道に趣かせ
本有の仏性発露して、不報の恩を報ぜんと、般若の船に掉さして、
涅槃の岸に到るべし。


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Pcでトップページを見てください

モバイルではトップページの震災の記録スライドシューは見れないのかな。


震災後の生々しい画像が多くあります。



是非見てください。




三都あらさがし P3

京者大坂を笑ふ

神社仏閣 見るに足らず
芝居網船 気張って行く
役者をひいきして番附に列なり
開帳を世話して身上傾く
皆食倒れに因って煮売おほく
只頭勝を好んで喧嘩争ふ
銭を出して常に呑む小便の水
人に対して猶誇る魚と城と


大坂者は活気があり、がっちり儲けて、ぱっと散じる。物見遊山、買い食いが好きで、外で金を使うのを嫌う京者にはこれも苦々しい限り。大坂の水などのめないし、魚お城をやたらに自慢するのが笑止だと京者はいうのだ。



漢詩のかたちを借りてののしり合うところなどはおつなもので、こういういいお手本を教えられたからには、早速真似をしなければならない。 とはいうものの、漢詩はどうつくるのか、これが大問題で、今から漢詩を勉強して、五十年後になんとかなっても、とても間に合わない。

事は焦眉の急に属することであるゆえ、よって法に叶わぬ点は不問に付すということで寛怨を乞いたい。


春夏冬二升五合

居酒屋でときどき目にする表題のことば、「商いますます繁盛」と読みます。
「春夏冬」で「秋がない=商い」、「二升」で「升升=ますます」、「五合」で「半升=繁盛」ということです。なかなか洒落ています。

 このようななぞなぞの要素を取り入れたしゃれことばを「判じ物」と言います。
江戸のころから、「櫛屋」さんのことを「十三や」というようになり、今でもそれを屋号に使っているお店がありますが、これは、「くし→九四→九+四→十三」ということで、「九=苦」と「四=死」の連想を避けるための命名ですし、「質屋」を「一六銀行」というのも「7=1+6」からきており、これらも判じ物の一つと言っていいでしょう。計量単位が尺貫法の頃のよき名残でしょうか。

tag : 尺貫法 商い 繁盛 居酒屋

震撼 二十世紀の画像

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世界を変えてしまうという写真が世の中にはあります。
新聞や雑誌のトップを飾り、人々の脳裏に焼きついて離れません。
ここに集められたのは主に20世紀を中心とした、人の心を動かした有名な写真の数々で、何度か目にしたものも多いとは思います。それぞれの写真が世界にどんな影響をもたらしたのか、そして写真の背景や、その後の人物たちはどうなったのかに焦点を当てて紹介しています。


ベトコンゲリラの処刑(1968年)
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この写真は写真家エディ・アダムス(Eddie Adams)によって撮影され、ピューリッツァー賞を受賞した一枚。サイゴン警察が捕虜として捕らえたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の兵士グエン・ヴァン・レム(阮文歛)を、グエン・ゴク・ロアンが路上で射殺するところである。ベトナム戦争のアメリカの介入について世論に大きな影響を与えた。 グエン・ヴァン・レムのことを残虐なベトコンだったとしてこの処刑は正当であったと主張した。 グエン・ゴク・ロアンは後にアメリカへ亡命し1998年に癌のため亡くなった。

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黒人青年へのリンチ(1930年)
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若い黒人の男性3人が白人女性をレイプしその恋人を殺人した罪を問われ公開処刑された模様を撮った有名な1枚である。 1930年に起きたこの事件はインディアナ州のマリオンと言う町に住む1万人が刑務所に押しかけ、白人をレイプしその恋人を殺人した罪で拘留されていたアフリカ系アメリカ人3人を引きずり出し、殴る蹴るの暴行を加えた。2人は処刑されそのうちの1人ジェームス・キャメロンは命拾いし、その後、彼は死ぬまでアフリカ系アメリカ人の法的権利について影響ある活動家となった。この写真は白人主義社会の見せしめではあったが、拷問された処刑者の体とグロテスクなまでに嬉しそうな白人たち群集のコントラストに反感を抱いたものも多く波紋が広がった。

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ソウェト蜂起(1976年)
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世界の注目を集めたこの一枚は南アフリカ共和国ハウテン州ソウェトで発生した武装事件で、エスカレートした暴動から、13歳のヘクター・ピーターソン(Hector Peterson)が無差別に発砲する警察に撃たれ、警察の暴力のシンボルとなった。ジャーナリストによって撮られたヘクターの死体の写真は世界の怒りを呼び、当時アパルトヘイト政策を敷く南アフリカ政府への国際非難をもたらした。このヘクターを抱く別の少年はその後国外追放となり、1978年に母親がナイジェリアから来た手紙を最後に消息はわかっていない。隣で走る17歳の少女はヘクターの姉で現在もソウェトに住んでいる。

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ヘイゼル・ブライアント(Hazel Bryant)(1957年)
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当時アメリカでは(人種差別の撤廃を求める)公民権運動がさかんであったが、社会の(有色人種に対する)偏見は根強く続いていた。エリザベス・エックフォード)はそれまで白人しか受け入れてこなかった学校へ入学した最初の黒人の一人であったが、当時の白人たちが大いに抵抗を示した。学校に来る彼女をけなす白人ヘイゼル・ブライアントが写るこの写真は20世紀のトップ100の写真の1枚に選ばれた。40年間この写真によって苦しめられたヘイゼルは1997年にエリザベスに謝罪し、二人が仲良く並ぶ写真を撮っている。

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トライアングル・シャツ社(Triangle Shirtwaist Company)の火災〈1911年)
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Triangle Shirtwaist社のビルは、女性の移民労働者たちが盗みや仕事から逃げ出したりするのを防ぐために常にドアは施錠されていた。1911年3月25日にこのビルで火災が発生したとき、このロックされたドアが8階にいた従業員たちの運命を決め、たった30分で146名が死に至るという大惨事となった。写真は警察や通行人がビルから飛び降りた死体とともに写っているもので、労働者たちの安全性を見直す運動に拍車がかかった。

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ファン・ティー・キム・フック(Phan Thị Kim Phuc)〈1972年)
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キム・フックとして知られるこの当時の彼女は、ベトナム戦争時の空襲で背中にひどい火傷を負いながら裸で逃げる9歳の少女だった。 この写真は「戦争の恐怖」と題され、翌1973年、ピューリッツァー賞を獲得している。修羅場を背景に小さな少女が裸で逃げるこの写真はベトナム戦争で一番、人々の心に印象深く焼きつきけられた一枚となった。後のインタビューでは彼女は「熱い!熱い!」と言って走っていたことを覚えていると話した。カメラマンは写真を撮った後、キム・フックと他の子供たちを病院へ運んだ。重度の火傷を負った彼女は助からないと思われたが一命をとりとめ、14ヶ月の入院中17回の手術を受けた。 現在2児の母親としてカナダで暮らす彼女は反戦主義者たちのシンボルとなる。 1977年には国連・ユネスコの親善大使となった。

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ケント州立大学銃撃事件(1970年)
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ニクソン大統領がカンボジア侵略のための兵士の派遣を発表したとき、戦争に反対する国内各地の大学で抗議活動が起こり、オハイオ州のケント州立大学では暴動化する騒ぎとなった。鎮静化を図った連邦警備員が学生に向けて発砲し、4人が死亡、9人が負傷するという惨事になった。撃たれた数人は学校に登校するためたまたま居合わせただけで、この写真は撃たれたジェフリー・ミラー に当時14歳だったメアリー・アン・ベッキーノ(Mary Ann Vecchio)がショックにひざまずいている瞬間を撮ったもので、ピューリッツァー賞を受賞している。彼女は第25回、35回、36回のケント州立大学の記念祭に出席している。

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無名の反逆者(1989年)
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1989年に起こった六四天安門事件の直後に戦車の前に立ちはだかる男を撮影したものである。この勇気ある行動を西欧では称えた報道をしているが、彼が誰なのか確認されておらず、生死も明らかになっていない。本名がわからないため、「無名の反逆者」(the Unknown Rebel)と呼ばれた。

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ティック・クアン・ドック
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ベトナムの僧侶であるティック・クアン・ドックは当時の政権に抗議してアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺をした。その様子を目撃したニューヨークタイムスレポーターのデイビッド・ハルバースタムはそのときの模様をこう書いている。「後にその様子を見る機会もあったが一度で十分だ。炎が体から舞い上がり、体はどんどん小さくしぼんでいき、頭は黒く焦げていった。あたりは皮膚が焼ける臭いがたち込めた。人間というのは驚くほど早く燃えてゆく。 私の後ろからは集まったベトナム人のすすり泣きが聞こえた。泣くにはあまりにショックで、書きとめたり疑問を投げかけるにはあまりに混乱し、うろたえて、考えることすらできなくなった。燃えていく彼は微動だにせず、声も発さず、彼の落ち着きはらった様子は周りの泣き喚く人々とのコントラストを醸し出していた。」

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ウィンストン・チャーチルの写真(1941年)
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ライフ誌の表紙にもなったこのウィンストン・チャーチルのポートレートは首相がカナダのオタワを訪れたときに、カナダの写真家ヨーサフ・カーシュによって撮影された。この1枚は彼を世界的に有名にしたといえる。カーシュは著名人のポートレートをたくさん手がけたが、照明の当て方が巧みであった。この日のチャーチルは写真を撮影する気分ではなかったらしく、カーシュに与えられた時間はたったの2分であった。不機嫌そうな顔をしたチャーチルはカーシュには被写体としては完璧であったが、チャーチルが持っていた葉巻を取り除くと彼はさらに不機嫌そうになり、怒りを示すように腰に手をあてたということらしい。

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アルベルト・アインシュタイン(1951年)
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相対性理論を築いたアインシュタインは現代でも人気の物理学者であるが、この写真は72歳の誕生日に撮られたものである。ドクター 夫妻と歩いているときに、レポーターに追われ、写真の前でポーズしたり微笑んだりすることに飽きたアインシュタインはポーズすることを拒否し、車で夫妻に挟まれて座っているときにマスコミの執拗なリクエストに舌を出したというもの。写真家アーサー・サスが舌をとらえたこの瞬間写真は夫妻もいっしょに3人写っていたところを、アインシュタインが気に入って自分だけ切り取って、知人への見舞いカードなどに貼って送ったらしい。 現在ではポスターからマグカップまでどこにでも貼られるほど有名なイメージとなった。

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長崎原爆投下(1945年)
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1945年8月9日午前11時02分にアメリカ軍が原爆を投下したときにできたきのこ雲である。 15万人の死者を出した8月6日の広島に続き2度目の原爆投下であったが、8万人の死傷者が出るなど被害は大きかった。

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ニューギニアの戦い(1943年)
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ニューギニアの戦いはニューギニアでの日本軍と連合軍の戦闘であるが、この写真は1943年2月にライフ誌の写真家ジョージ・ストロックによって撮影されたアメリカ人兵士の死体。そのときすでに死体にはうじ虫がわいているほどで、あまりの残酷さに9月20日まで発表は止められていた。それまでアメリカでは棺に入れられていないアメリカ人の死体がライフ誌に掲載されことはなかったので、タブーをぶちやぶる掲載となった。

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ブーヘンヴァルト(Buchenwald)収容所キャンプ
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ナチの収容キャンプの一つであるが、ここでは4万3千人が殺されている。ジョージ・パットン部隊が収容所を解放したとき、彼は収容所内で行われていた残虐行為に怒り、収容所内のことを知らなかったと言うドイツ市民2000人に彼らのした残虐行為を見せるために収容所内を行進させた。

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アンネ・フランク(1941年)
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ホロコーストで900万人のユダヤ人が殺されたが、14歳の少女アンネ・フランクがナチに追われて、アムステルダムの屋根裏部屋で生活をしたときに書いたアンネの日記には希望を持ち続けていた事が綴られている。1944年にフランク一家はナチに捕まり、解放される1ヶ月前にアンネはチフスによって亡くなる。この写真はどこでもいるような14歳の少女であるが、大きな瞳で決して彼女にはやって来なかった未来を見つめている写真として有名である。

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タイムズスクエアのキス(1945年)
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ライフ誌に掲載されたタイムズスクエアのこのキスは、終戦を喜ぶタイムズ・スクエアの一枚である。水兵士が看護婦にキスしているのだが、ライフ誌はこの二人が誰か確認せぬまま時が過ぎ、これは自分だったと名乗り出るものも多くいたがつい最近マックダッフィーさんだと確認された。

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湾岸戦争(1991年)
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湾岸戦争中の若い兵士(23歳)が、自分の横にある袋に入っている死体が自分の親友だと知って嘆き悲しむこの姿は、ピューリッツァー賞に4度もノミネートされたデイビッド・ターンリーによって撮影された。Kenの母親は後に「この写真を見てただ泣いた」と伝えた。後にインタビューでそのときのことをフラッシュバックすると伝えている。めったに泣かない彼が泣くほどの悲しい出来事だったということも。

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ツインタワーから飛び降りた男(2001年)
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この印象深い1枚の写真は9月11日の世界貿易センタービル爆撃の際にリチャード・ドリュによって撮影された写真であるが、読者からの反響を読んで批判が殺到し、新聞には一度掲載されただけであった。「The Falling Man」(落ちる男)と題されたこの写真の男はNorberto Hernandezだと言われたが、数枚ある写真を見た家族が否定した。その他3家族が自分の肉親ではないかと名乗りあげたが、1家族は違うとわかり、他の2家族は取り下げた。

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硫黄島の星条旗(1945年)
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1945年2月23日に撮影された硫黄島の擂鉢山に星条旗を立てる有名な一枚である。ピューリッツァー賞を受賞したこの写真は、戦争のイメージを代表する作品である。

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高層ビルの上でランチ(1932年)
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この有名な写真は1932年にロックフェラーセンターのGEビルの上で労働者たちがこぞってランチを食べているシーンである。
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同じ写真家に撮られたもので横げたの上で昼寝をする労働者たち

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移住労働者の母子(1936年)
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"Migrant Mother"と題されるこの有名な写真は世界恐慌のアイコンとなった。当時32歳だったフローレンス・オーウェンズ・トンプソン(Florence Owens Thompson)は7人の子供があり、生きるために鳥を捕まえたり、果物をとったりして飢えをしのいでいた。 ドロシー・ラング(Dorothea Lange)はこの写真を撮ったときの様子をこう述べています。 「彼女の名前も履歴も聞かなかったわ。 年齢を教えてもらったら32歳と言ったわ。」 フローレンスの身元がわかったのは1970年後半になってからであった。1983年には癌により亡くなった。

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Omayra Sánchez(1985年)
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1985年11月13日にコロンビアでネバド・デル・ルイス火山(Nevado del Ruiz)が噴火した。 大量の火山泥流が発生し、25000人近い死者を出した。 Omayra Sánchezは当時13歳で水の中でコンクリートや岩石の破片にはさまれて出て来れず、亡くなるまで3日間水の中に漬かったままであった。 写真は彼女が亡くなる数時間前にジャーナリストのフランク・フォーニアー(Frank Fournier) によって撮影されたものである。 噴火の惨状を報道するテレビではまだ彼女が生きているときに足がはさまれたまま水に漬かる彼女が放映された。 赤十字は彼女を助けるためになんとか水を汲み出して水のレベルを下げるように繰り返し政府に訴え、他の者も救出を試みたが、不可能だとわかると彼女のそばにいることに決め、慰めたり力づけたりしていた。最初は気丈に歌など歌っていたが、彼女は三日目に幻覚を見るようになりそのまま亡くなった。

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飢える子を見るハゲワシ(1993年)
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1993年3月1日にケビン・カーター(Kevin Carter)によって撮影された心痛む写真である。アフリカ大陸スーダンを襲った食糧危機のさなか飢えて地面にしゃがみこむ子供をハゲワシが見つめているという衝撃写真である。カーターは元々アパルトハイトの残虐行為を撮影するために南アフリカを旅していた。 毎日のように目にした脳裏に焼きつくひどい惨状に苛まれ1994年写真がピューリッツァー賞を取ったすぐ後に彼は自殺した。

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ビアフラ共和国(1969年)
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ナイジェリア政府に経済封鎖されたビアフラ共和国は200万人にも及ぶ餓死者を出した。共和国は完全に滅亡し、死が目前に迫る子供たちがドン・マッカリン(Don McCullin)によって撮影された。戦争専門の写真家だったマッカリンはこう言った。「死を目前にした900人もの子供たちが1つのキャンプに住んでいるその現状に衝撃を受けた。もう兵士の写真なんかどうでもいいと思った。」

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ダルフール(2004年)
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紛争の激しいダルフールでは難民は数百万にの上ると言われている。やせ細った母親の腕をたった一つの慰めとして触れている小さな5歳か6歳の子供のこの写真はマーカス・ブリーズデイル(Marcus Bleasdale)によって撮影された。

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オクラホマの悲劇(1995年)
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1995年4月19日にオクラホマシティ連邦政府ビルに爆弾がしかけられた。この事件で子供19人を含む168人が死亡。犯人がアメリカ人だったことで衝撃を与えた。1階に託児所があり、爆弾を運んだトラックが託児所に近いところに停められたせいで、託児所の子供たちは全員死亡した。 写真は消防士クリス・フィールズ(Chris Fields) が一歳の子供ベイリー・アルモンを抱いているところで、息を引き取っていることを知らずに接している衝撃的な一枚である。 消防士と言う仕事を知っているなら消防士の手袋がどんなに荒い頑丈なものかがわかる。それを外して子供にそっと触れる手や彼の優しい目が現れているこの写真は見るものを泣かせた。
この事件の犯人ティモシー・ジェームス・マクベイ(Timothy James McVeigh)には死刑判決が下され2001年に執行された。

この写真が新聞や雑誌のトップを飾ったことで、フィールズは一躍有名になったが彼はふいに舞ってきた名声には用心深く、名声の反動で自殺をした消防士も知っていることから決して溺れてしまうことはなかった。多くのメディアは彼をヒーローとして取り上げたが、救出しようとした子供が全員死亡という結果から彼はそうは思わなかった。 同様にこの子供の母親は失望の中マスコミから注目を浴び、それをフィールズがかばった。 子供の写真の掲載を止めるために弁護士を紹介したのはほかでもないフィールズであった。

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生命の誕生(1965年)
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スウェーデンの写真家レナート・ニルソン(Lennart Nilsson)は科学者でもあった。
彼は内視鏡などを使い、体内の写真を撮り始め、それを見たライフ誌の編集者は実際に写っているものを見たいと要求してきた。それが確認された後、ライフ誌では16ページで特集を組み、表紙をも飾った。 ところがその写真は人道的な影響を大きく世論に与え、中絶反対運動のプラカードに拡大されたイメージとして出ることになったのはニルソン自身も予測せぬことであった。

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初飛行(1903年)
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人が始めて飛んだのは1903年12月17日の自転車屋を営むライト兄弟の12秒であった。その日のうちに1分飛行し、この初飛行から将来への飛行機までへの成長は急速であった。写真は兄のウィルバーが翼端を離した瞬間で、操縦しているのは弟のオーヴィルである。

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地球(1968年)
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1968年12月24日にアポロ8号からウィリアム・アンデス(William Anders)によって撮影された。アポロ8号は月へ着陸せず、写真は軌道から撮られたものである。この写真によって初めて地球が外からどう見えるのかを世界に知らせることになった。 現在もっとも影響を与えた環境写真であるとされている。


過去にサイバーエジェント(アメブロ)で掲載しましたがこの写真の何枚かは削除された経緯があります。自社だけ、表面だけを取り繕う姿勢に強く抗議していた頃を思い出します。




tag : 二十世紀 震撼 画像

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