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ウソでもいいから治ると言って

随分前の事になるが 雨ざらしの粗末なベンチが1つ横たわっている所を歩いていると文庫本がそばに落ちている。拾い上げてみると、まだ新しいが雨露に何日か晒されていたらしくページがくっついて開けない状態だった。捨てるにも近くにごみ箱らしきものは無し、もって歩いているうちに・・・?カバーをとって見ると「医者が癌にかかったとき」と書いてある。さっきのベンチで読んだ人の気持ちをあれこれ想像してみた。宣告されて藁をも掴む思いで買ったのか、読んでいるうちに自失ぼうぜんとして、夢遊病者のように立ち去ったのだろうか。

以下、書き写し

ウソでもいいからいいから治るといって


以前、婦長としてともに働いていた人が、胃癌の手術の相談で来診した。来診当時は別の病院に移って、そこでも婦長をしていたのだが、勤務病院のと別に、もう1つの病院の所見とレントゲン写真を持ってきた。検査の結果は2つの病院と同様胃癌の末期であることが確定した。

一般の人が病院をハシゴするのはよくあることだし、あって当然だ。手術が必要な場合、あるいは長い闘病になる場合、最終的には相性というか、信頼でき安心して命を託す気持ちになれる医者と付き合うのがいい。現在の日本のレベルでは手術の巧拙に大差はなくそれが予後に響くこともほとんどない。だから、人間的な信頼関係がものをいう。

患者さんが納得のいく医者なり施設を求めるのは治療効果の面でも大切なことだ。肉体的、心理的ストレスを負いながら、医療側にまで気兼ねや遠慮があったのではたまらない。だからぼくらも、患者さんが最終的に別の病院を選んだとしても、淡々と受けとめる。

おもしろいことに、例えば10人中3人が他の病院に行ったとすると、同じ理由で3人は他の病院から僕の所へやってくるから不思議なものだ。現場を知っている元婦長が、何故病院のハシゴをするのかちょっと量りかねた。「先生。手術で治りますか」

より詳しく、具体的にと言う点では看護婦の受けとめ方は医者が患者になったと違って、素人に近いのは確かだが、相手はベテランでもある。他の病院でも同じ質問をし、その答えと比較検討したい意図も見えたので、僕は素直に答えた。あなたも専門家だから、隠さずにお話しましょう。

ここまで進んでいる以上転移はあって当然と考えられます。原発の胃にしても取れるかどうかは五分五分でしょう。僕にやれと仰るならベストを尽くします。


結果的に、彼女は勤務先の病院で手術を受けた。結局、一時退院するところまで恢復することなく、診断時に予想された時間を経て亡くなった。仄聞するところ、その入院生活は非常に孤独で鬱々としていたという。また、大方の医者に見捨てられたと感じていたとも聞いた。

元婦長の選択については、それもいいだろうという程度にしか考えていなかった。が、術後の経過を聞いてみて、もう少し救いのある結末を求められなかったのか、反省をこめて考えてみた。なぜ僕を訪ねてきたのか、僕に求めたのは何だったのかを。

はたと思い当たることがあった。

彼女は僕の恩師の現役時代を知っている。あちこちの病院を歩きながら、彼女の必要とした反応、欲しかった言葉はアレだ!アレが欲しくて僕を訪ねたのではなかったのか。おそらく僕を含めて3人の医師とも似たような反応を示したと想像される。必要以上の隠しだてをせず、手術の難しさにもふれ、できるだけの事をしよう。と誠意をこめて説明したはずだ。

それが常識的に考えられる精一杯の答えだ。ところが、彼女にすれば、手遅れであることも、予後が悪いことも百も承知だった。失意の底で、繰り返し周知の事実をきくため、きいてなお暗澹たる思いを深める為に医者を訪ね歩いたのじゃない、と言いたかったのだろう。

還暦まであとわずかであったが、仕事一筋に生きて、家庭を築く縁にも恵まれず独身を通した。そんな女性が命の砂時計を握らされて、一体何を考えるだろう。「私がほしかったのは、心を預けられる医者だったのよ。

傷ついた心身を丸ごと抱きとめてくれる医者に出会いたくて歩いたんだわ」切ない思いが聞えてきた。恩師の手術時の説明の仕方、その受け方を思い出した。

「この竹中にお任せください。ご安心下さい」アレとはこういうニュアンスのことだ。しかも、恩師はにっこり笑って応ずる。患者さんは誰もがこの言葉に心からの安心を見せた。

外国映画であれば、昔同僚だった医師が一切を受け入れた証に、笑顔をたたえ肩を抱いて「一緒に頑張ろうじゃないか、僕達がついている、君を1人にしやしない」とまあこんな具合だろうか。

「きれいに取れるよ、きっと治してあげる」この見え透いたウソでだまされ通したかった。そう思えた。こうした言い方は、恩師ばかりでなく、2、30年前は他の有名な外科医も似たようなパターンだったと聞く。

時代的な傾向だったのだろうが、あんなふうには恥ずかしくって言えない。と、昔、同僚や先輩達とよく話したものだ。

甘える近親者の1人としていなかった初老の職業婦人の心中を察して胸が痛んだ。その痛みは、僕自身が病んでみて更に大きくなった。なまじの医学の知識はかえってあなたを苛んだろうし、長年患者の苦悩を受け止めることを、仕事とした職業的な習性は、自制心や克己心を強くするだけに、救いがなかったろう。

あなただって病気になれば1人の患者さんなのだけど、どこかにそうさせない自分がいる。世話してくれる若いナースに心の乱れをみせまい、迷惑もかけまいとますます自分を追い込む。

迫り来る終末とにらめっこしながら、教科書や過去の症例に自分の状態をなぞってじっと耐えてすごすなんて痛ましいことだ。どんなに優しくされても、持ち時間たっぷりの若いナースの軽やかな足どりに接しては、はちきれんばかりの生の横溢に羨望し目が眩むのがオチだろう。若さに単純に嫉妬する気持ちが、最近しみじみ分かる僕だ。これは理屈抜き!眩しい、ただ圧倒されるだけ。

仕事一筋に過した青春をやりなおしたい。命の砂時計を逆さまにしたい!あなたはそう思ったことだろう。無理だよねぇ、その心をとめるのは。同年輩かそれ以上の包容力を持った相手でなきゃ叶わないことだ。人生の生き証人、生きた証が必要だったのだもの。その誰かが、一時的にしろそばにいればよかった。黙って見守るだけでよかった。

そうでしょ だから僕の所に来たんでしょ? 力になれなくてゴメンナサイ。見守る目があるとき、あなたは自制心のタガを外して泣くことも出来た。涙は心を洗い、傷を癒す。甘い思いにも浸れる。そして、周囲の人々にいたわりの色をみたとき、あなたはきっと過去を正当化し、己が一生にささやかな花を添えることもできた。但し、それには共同作業が必要だった。

古い仕事仲間は故郷みたいな懐かしさであなたの過去に同行できる。思い出話に合の手を入れればよかっただけだから。そうやってはじめてあなたは納得して死んでゆけたのではないだろうか。その願いのなんと無欲で慎ましいこと!

そこまで個別的な対処は出来ないと言ってしまえばそれまでだ。しかし、人が十人十色なように、,病状もその心も各人各様であり、したがってケアは1人ひとり違わなければ意義は薄らぐ。可能かどうかは別問題として、最大公約数的な知識が書かれた教科書を開いても、欲しい答えは見つからない。医療の限界を認識しつつ、都会の渇いた人間関係の中で病み疲れた病人を診ている僕の仕事を考える時、こうした役割はいよいよ大切に思えてくる。

悔しいことに、今頃僕などが気づくとっくの昔に、恩師達は知っていた。患者さんを気持ちごと、体ごと大きな手で受け止める、ものの言い方も心得ていた。実行もしていた。心得るための並々ならぬ努力も惜しまなかった。慧眼に頭が下がる。


竹中文良著 医者が癌にかかったとき
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